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能:夕顔(ゆうがお)

シテ:山田 純夫
ワキ:宝生 閑

□豊後の国(大分県)の僧が都の寺社、名所をめぐり五条あたりに来かかると、あたりの家の軒端から和歌を吟ずる声が聞こえ、女が出てきます。
女は中国の故事を引いて男女の仲の儚さや、昔のはかない恋が執心となって成仏出来ず今なおこの世に行き迷っているなど独り言をいい、僧の前にやってきます。
僧は女に由緒ありげなこの所の名をたずねます。
女は、「ここは昔、源融(みなもとのとおる)の邸宅跡、河原の院で、その後紫式部が「何某の院」と書いたところです。
このところで夕顔の上が物の怪に襲われなくなったところです 」と教えます。
僧は自分は豊後国の者だが豊後は夕顔上の娘、玉葛が母に別れて下った縁もあるので、夕顔の上のあとを弔いたい、なおさらに詳しい話しを聞きたいと頼みます。
女は、五条辺りの粗末な家で源氏と夕顔上が夕顔の花の桟縁で深い契りを結ぶようになったこと、その後、源氏に伴われて行った河原の院で物の怪に襲われ取り殺された恐ろしい話を語り、こうして夢ながら来て話すのです、と姿を消します。
五条辺りに住む人が来て、僧に、源氏と夕顔のことを詳しく語り、夕顔上の回向をすすめます。
僧は月の冴えわたる中で法華経を読み夕顔上の霊を弔います。
やがて経に引かれて夕顔上が、ありし日の姿で現れ成仏を願う舞を舞い僧の回向で迷いを解脱して成仏出来たことを喜び明け方の雲に紛れて姿を消します。

□この能は源氏物語、夕顔の巻を典拠にした世阿弥の作品です。
この曲のクリ、サシ(クセの導入部)に「そもそも光源氏の物語。言葉幽艶を本として」又「中にもこの夕顔の巻は殊に勝れてあわれなる」とあり、由緒ある本説(典拠となるべき物語、故事)を説く世阿弥には理想的な題材であったようで能作書にこのようなことが述べられているといいます。
世阿弥はこの作品に、かなりの自信を持っていたようです。

□この能は前場、後場とも「何某の院」が舞台です。
何某の院は風流人、源融(みなもとのとおる。能、融、参照)の旧邸「河原の院」です。
当時は住む人もなく荒れ果て物の怪が出ると恐れられていました。
こうしたロケーションを背景に前シテは一声で「山の端の心も知らで行く月は」の和歌を口ずさみ次のサシで中国の故事を述べ想う人に去られる不安をもらします。
続くクセではこの「某の院」で物の怪に襲われる恐ろしい様子を語り終曲のキリでも荒涼とした「某の院」の情景が述べられます。
全編いいようのない寂寥感が漂います。
この能は幽玄、優艶を本義とする「本三番目」ですが、他の三番目物とひと味違う狂乱の要素を含んだ、名作「野宮」と同種の作品のように思われます。

□類曲に「半蔀」があります。
同じ源氏物語、夕顔の巻を典拠にした作品です。
半蔀、夕顔、二つの曲は、いろいろな意味で対をなす作品といえます。
半蔀は夕顔の花の咲く粗末な小家での源氏と夕顔上の邂逅と愛を情緒のベールをかけおぼろおぼろに描いています。
夕顔は薄幸の女、夕顔の上が、はかなく非業の最期を遂げる物語です。
源氏物語「夕顔の巻」の源氏と夕顔の上との邂逅の前半が半蔀、死別の後半が夕顔、ということになります。
「半蔀」の作者は室町時代の細川家の家臣、内藤藤左右衛門といわれ、いわば素人作家、「夕顔」は能の大成者、世阿弥です。
原文を多用して原典の内容を忠実に戯曲化しようとしているように見えます。

□長老の芸談に、「夕顔」はさびしすぎて趣を出すのが難しい能であるとあります。
夕顔の巻で夕顔上を無邪気な子供っぽい女性としており、帚木の巻、雨夜の品定めで頭の中将は夕顔上を、弱々しく内気な女と評していますがこの曲の冒頭では、何某の院の名前に不審した僧に「さればこそ始めより、むつかしげなる旅人と見えたれ」と僧をとがめるところなどもあり、夕顔本来の人物像を思わせる描写が少なく感情移入が難しいところに戸惑うのでしょう。

□この能には小書(常の出演の一部を変えた演式)山之端出、合掌留があります。
前場のシテの出「山の端の心も知らで」を幕の内で謡い、序ノ舞の位が、中ノ舞破ノ舞の位と変わります。
本来この曲の舞事は序ノ舞又は中ノ舞としています。
序ノ舞は能の中で最もテンポの緩い優艶な舞であり、中ノ舞は中庸の位の舞です。
この能は某の院の恐ろしい中でのシテの心情が主題であり、王朝物ではあっても序ノ舞は無理があるという考え方から中ノ舞でも良いとしたのでしょう。
これを端的にしたのがこの小書です。
序ノ舞から中ノ舞、破ノ舞としだいにテンションを上げて行きます。
端ノ舞は心の高揚をあらわすテンポの速い舞です。
「山端之出」「合掌留」はセットで演ぜられ単独で演ぜられることはほとんどないようです。

□夕顔は通称「かんぴょう」変種に「ひょうたん」があり、よくしられています。
一般にウリ科の植物は黄花で朝開花するものが多いのですが夕顔は、夕方に白花を開かせ名の由来ともなっています。
「よるばな」の異称もあります。夜訪れ、受粉の仲立ちをする虫もいるのです。
インド・アフリカあたりの原産で古くから栽培していたようです。
しかし高貴の家には植えられませんでした。源氏が珍しがったのはそのためでしょう。
全草粗毛におおわれ、葉は大きく、夕顔の巻に「これに()置きて参らせよ枝も情なげなめる花を」というのもそのためです。

☆★☆★源氏物語「夕顔の巻」源氏、夕顔、出会いから死別まで。梗概☆★☆★
その頃源氏は六条の御息所のもとへ通っていました。
その道すがら、たまたま病気の大弐の乳母(めのと)を見舞います。
その隣家のすだれ越しに美しげな女達が源氏の方をうかがっています。
源氏は、この家の板壁に蔓草が這い上がり白い花が咲いているのを目に留めます。
御随身に命じて一枝折らせます。家の中から少女が出てきて風情のない花なので、これに載せて差し上げて下さいと白い扇を差し出します。
扇には歌が添えてありました。
『心あてにそれかどぞ見る白露の光そへたる夕顔の花』
(あて推量ですが、源氏の君かと存じます。光は光源氏をさす)
源氏の反歌
『寄りてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見つる花の夕顔』
(近くに寄って確かめてはいかがですか)
源氏は乳母子で家臣の惟光に女の素性を調べさせます。
惟光の報告から、女は「雨夜の品定め(帚木)」で頭の中將が話した女のように思えてますます興味をつのらせ、女に近づきます。
源氏は身分を隠し顔も見せないようにして深夜通いつめます。
女は不安げな様子でしたが、身分を明かすことを求めませんでした。
源氏はこの女の内気で頼りなげな子供のような風情にすっかり耽溺します。
八月十五夜、源氏は夕顔の家に泊まります。
隣家からは卑しい人達の生活の声や物音、御岳精進(吉野、金峰山参籠の前の精進潔斎)の声まで聞こえ、源氏を驚かせます。
その夕方、源氏は夕顔を連れ出し某の院に行きます。
惟光、夕顔の侍女右近、御隨身二、三人が供します。
荒れ果てた庭園や人気のない邸内の奥深さは不気味です。
次の宵過ぎ夕顔は物の怪に襲われ取り殺されます。
源氏は右近の話から夕顔の素性を知ります。源氏の予想通り女は、頭の中將の話した女であり、頭の中將との間に子供(玉葛)がいることもわかりました。
夕顔は頭の中將の正妻の実家右大臣家の目を逃れるため乳母の家に姿を隠していたのでした。源氏十七歳の夏から初秋。

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