能:殺生石
僧、玄翁が奥州から京へ上る途中、那須野の原を通りかかります。能力の叫び声に空を見上げると、鳥が大石の上に落ちていきます。
不審に思い石に近づいて見ようとすると、その石に近づいてはいけないと云いながら女が現れ、この石は殺生石といって、人はもちろん鳥類畜類も触れると命がないと近づいて来ます。玄翁は女に石の謂われをたずねます。
女は、この石は昔、鳥羽の院に仕えた玉藻の前の執心が、石になったのだといい委しく語ります。
「この玉藻の前は素性もわからず経歴も全く分からない人でしたが、大変美しく、仏教、儒教や文学、音楽に至まで広い知識を身につけていた。帝の寵愛は深かった。ある時、帝は管弦の御遊を催した。雲行きのあやしげな宵の頃、突然雨とともに風が吹き、御殿の灯火が消えてしまった。その時、玉藻の前の身体から光が放たれ、御殿を照らし出した。
その後帝は病気になった。安部泰成に占わせたところ、これは玉藻の前の仕業で、帝の命をとるために美女に化けてきたのだといい調伏の祈祷をするよう奏上した。
帝の心もすっかり変ってしまった。正体を見破られた玉藻の前はこの那須野に逃れてきたが、この原の露と消えてしまった」
あまりにも委しい話に玄翁が女の素性をたずねると、女は実は私はこの殺生石の石魂であると明かし、石の中に消えます。
玄翁は石に向かって供養をします。石は二つに割れ石魂の妖狐が姿を現します。妖狐は追討の武士に殺された凄まじいさまをみせ「帝の命を狙ったが、正体を見破られ、この那須野の原に逃れてきた。勅命を受けた三浦介、上総介に追われ、ついに射殺された。だが執心は殺生石となって人畜に害を与えたが、今ありがたい供養を受けたので以後は悪事は働かない」と約束して消え失せます。
この能はキリ能または五番目物と呼ばれます。能会の最後に演ぜられるからです。
能は人間の根元的なものを主題にしたものが多く、観能のあとは多分に疲れ、肩が凝りますが、これら切能は活劇の要素が大きく、楽しめ、凝った肩もほぐれます。
切能の役目でもあります。主人公には鬼畜が多く、人に害をなし、一方的に調伏されても退治されても当然のキャラクターです。
この能の始めに巨大な石が運び込まれます。
道成寺の鐘に次ぐ大きさで、この前に座って清涼殿での「事件」を語る女が次第に薄気味悪く見えてきます。その能の圧巻は後場で、この巨大な石が二つに割れ狐の化け物が姿を現すところでしょう。これも道成寺の鐘の落下に次ぐ迫力です。烈しいシテの型は体力の限界に近いほどです。
玄翁は曹洞宗の高僧。鎌倉の海蔵寺の開山とも言われています。
玉藻の前を調伏した安部泰成は、安部清明世の孫、宮中お抱えの世襲の陰陽道、占師だそうです。安部氏、玉藻の前、と並ぶと、日本版魔女狩ではと、いろいろ想像されて面白い。
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