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能:藤戸

藤戸 戦乱の狂気の中、一武将の野心のために殺された男の恨みとその母の悲嘆。


□源氏方、佐々木三郎盛綱は、藤戸の戦いで先陣〈いちばんのり〉の功を立て、その恩賞に備前(岡山県)の児島を賜り、新領地に入り何事でも訴訟ある者は申し出よと触れさせます。
盛綱の前に、中年の女が進み出、罪もない我が子を殺された恨みを訴えます。
盛綱は隠し通そうとしますが、女の追求に抗しきれず事の次第を話します。
 平家は備前の児島に、源氏は藤戸に陣を張ったが、児島と藤戸の間の水道に隔てられ、舟がなかった源氏方は攻める事ができなかった。
盛綱は浦の男からこの水道を馬で渡ることのできる浅瀬を聞き出すが、この男が又別の人に同じように教えるのではないかと、男を殺し海に沈めた。
盛綱は女に男の供養、妻子の行く末をも考えようと約束して女を家に送らせます。
 盛綱が、男のあとを管弦講で弔っていると男の亡霊が現れ、理不尽に殺された恨みを切々と訴え、その凄惨な有様を再現して見せます。男は悪龍となってその恨みを晴らそうと現れたが思いの外の弔いを受け、恨みも晴れたと述べ、成仏の身となって消えて行きます。
□戦争という狂気を、被害者と加害者との立場を劇的に描いた作品です。                                       
能といえば幽玄、優雅と思いがちですが、この曲のようなドラマ的に優れた曲もあります。
能は五種類に分類されていますが、これは主題の便宜的な分類であって、現行曲、二百曲余りその描くところ、意図するところはそれぞれ違います。
 佐々木の三郎盛綱は新領地に意気揚々と入ります。鎌倉時代の歴史書、吾妻鏡に、盛綱の先陣は頼朝が、下し文(御教書)に「昔より河水を渡る類ありといえども未だ馬をもって海浪を凌ぐの例を聞かず」と述べたほどの功名だったわけです。
この盛綱が漁師の母の悲嘆に事の次第を語ります。戦いの狂気から覚め、良心を取り戻した瞬間であろうか。ワキ方の重い習いであり、聞きどころです。
 能「善知鳥、うとう」に「とても渡世を営なまば武、農、工、商の家にも生まれず」というのがあります。この過酷な身分制度のなかで男の母は、我が命を賭して「亡き子と同じ道になして賜ばせ給え」と理不尽に我が子を殺した盛綱を糾弾します。鬼気迫るこの母の激情に人の心の奥底を見る心地がします。
□後場は殺された男が幽鬼となって現れます。痩せ男の面に黒頭(頭髪)、杖をついてでます。「痩せ男」は氷見宗忠(室町時代、不詳とも)の創出で、死人の相を写したと云われ、地獄の責め苦に憔悴した相貌です。黒頭は妖怪、幽鬼の類を表します。
 男は浮洲の岩の上で刺し殺されます。男が指し示す右手の向こうにその岩が見え、男の無念が凝縮します。刃に擬した竹の杖が氷の如くギラリとひかります。一番の見どころ、昔から伝説の多い名場面です。男はそのままうみに投げ込まれ、汐に引かれ漂います。その様を、杖を肩にみせます。やりようのない寂寥感です。
 男は手厚い供養に、仏の衆生済度の弘誓の船に乗り、かの岸、極楽に往生します。
男の幽霊は「思わざるに御弔いに」と述懐します。
今の世では想像もつかない過酷な身分制度の中で最下層の賤しい漁師が、事情がどうであれ、それも管弦講の弔いを受けるとはまさに「思はざる御弔い」だったのです。
仏の慈悲も下賎の者にはきびしい時代だったのです。 

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