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能:國栖

國 栖(くず)古代最大の内乱、壬申の乱を題材に、前場に劇的緊迫、後場に能的祝言色を融和させた秀作。


吉野川に漁をする老人夫婦。白昼の我が家の上に星が輝き紫雲たなびき、只ならぬ気配に奇瑞を感じ急ぎ帰ります。
家には、大友の王子に追われ吉野の山中をさまよう浄見原天皇、侍臣一行が休息しています。
老人夫婦は感激に打ち震えつつ食事を差し上げます。姥は根芹、翁は鮎。
天皇は翁に鮎の半身を賜ります。生きているように見える鮎を見て翁は神功皇后の故事に倣い、鮎を吉野川の激流に放ち天皇の行く末の吉凶を占います。鮎は吉野川の激流に生き返り躍り上がります。
激流と鮎の躍動を老いの身で鮮烈に見せます。前場唯一の型どころ。
追手が迫ります。翁は天皇を船に隠し追い手を追い返します。追手と翁の問答は、あるときはとぼけ、あるときは凄み、その劇的緊迫が圧巻。
やがて夜も更け老人夫婦は御慰めの楽を奏しようと姿を消します。程もなく天女が現れ楽を奏し、神々の出現を促します。やがて蔵王権現が現れその威勢をみせ、天皇の行く末を守護する誓いを述べ、祝福します。
□この曲は前場、後場に切れ目がないという変わった構成です。前シテは「下り端」で退場します。「下り端」は通常は神仙、妖精などの登場の楽です。太鼓、笛、大小鼓で賑やかに奏します。前シテが幕に入っても「下り端」は奏し続き天女はこの「下り端」に乗って舞ながら登場し、つづいておなじ「下り端」で「天女ノ舞」を舞います。華やかこの上ない演出です。
□この能は壬申の乱(六七二年)を題材に作られました。物語の主役は大海人皇子(本曲では浄見原天皇)後の天武天皇。壬申の乱は、甥の大友皇子と皇位を争った古代最大の内乱。兄の中大兄皇子(後の天智天皇)が断行した大化の改新、この二大事件をへて大和朝廷は国家の体制を更に整え天皇の神格化を進めたと云われています。
「茜さす、紫野行き、標野ゆき、野守は見ずや、君が手を振る」額田王のこの歌は大海人皇子との恋の歌としてよく知られています。額田王は大海人皇子妃となり一子をもうけ後に兄天智天皇妃となります。このことが兄弟間の確執となったとも伝えられています。太古のロマンを思わせる能。
□大友皇子は天智天皇の皇子。母は身分の低い采女。室は額田王、大海人皇子の子、十市皇女。
容貌風采秀美、博学多通、文武に優れ人望が厚かったという。明治三年、一二〇〇の時を隔て「弘文天皇」の諡を追贈されました。 
□蔵王権現は修現道の主尊。修現道の始祖、役行者が感得した神といいます。恐ろしい姿は悪魔降伏の相です。和製のいわば神仏混淆の神。
□出典 源平盛衰記に、吉野に潜伏した浄見原天皇に國栖の翁が粟のご飯と、ウグイという魚をお食事に供えたこと、その後、位につかれて以後、招かれて元日にお祝いの舞を舞った。また宇治拾遺物語に、賎女が、追われた天皇をうつ伏せにした湯船の中に隠したとあるそうです。
□國栖奏 毎年二月十三日、吉野町南國栖の浄見原神社で國栖奏が奏されます。
小鼓一、笛四、舞の翁六、唄五十。天武天皇の即位に奏されたものだと土地の人の説明でした。古式豊かに、太古の昔に迷い込んだようでした。

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