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能:自然居士(じねんこじ)

シテ:羽多野良子

人買いの手から少女を救い出す青年説教僧の熱血の物語。次々に繰り出される舞が見どころ。
都、雲居寺では造営の資金の喜捨を募るため、自然居士の7日間の説法が行われています。 満願の日、両親の供養を願う諷誦文と寄進のための小袖を持ち、少女がやってきます。 そこへ人買の荒くれ男が現れ世話役の制止にも、これをおどし連れ去ります。  諷誦文には身の代衣を寄進すると書いてあります。居士は、この少女は自らの身を売り、小袖に代えたのだと覚り、満願の説法を中止して少女を救うため人買の後を追います。  居士は琵琶湖畔の大津で、まさに舟出しようとする人買に追いつき小袖を投げ返し、得意の弁説で少女を返せと迫り、舟に乗り込みます。  人買は命を取るとおどしますが、居士は、これは捨身の行だから命を取ってもよいと応酬し、少女を返さなければ人買の行先、奥州まででもついて行くと居座ります。  ほとほと手を焼いた人買達は、仕方なく居士に舞を舞わせ、散々なぶり者にした上、少女を返そうと相談します。  居士は屈辱に耐えながら人買が次々に要求する、中ノ舞、船の曲舞、簓、羯鼓、の芸を見せ、ついに少女を取り返します。
□この能に登場する人物は、いずれも強烈なキャラクターです。  何時の世でも、人身売買に携わる人は極悪人です。この能ができた中世は、人買いの横行した時代だったのでしょう。 能でも「隅田川」「三井寺」など数曲の作品があります。 彼等は買い取るだけでなく、甘言を弄して少年・少女、果ては立派な青年、夫婦までも誘拐したといいます。 まずこの人買いが登場し、名乗って舞台の奥に退くが、強烈な印象を残します。  次はもう雲居寺の境内の自然居士の説教の場です。 雲居寺の門前に住む人、自然居士の説教会を切り盛りする世話役のアイが登場し、今日が満願であると触れます。 説教の場の雰囲気を作り観客の期待感を誘います。見所の観客は、説法の聴衆です。
□シテ自然居士は登場の囃子もなく、アイに語りかけながら登場します。 いかにも人々の信望厚い僧という雰囲気が漂い、説教の場も厳粛な空気が漂います。  この曲の作者、観阿弥が演じた自然居士は、喝食の少年僧という設定だったようです。 もともと喝食(カツシキ)は寺の食堂で僧の食事の世話などをする少年僧だったといいます。現在では血気溢れる青年僧で演じられています。  この説教の場に現れる少女は、自分自身を人買いに売りました。「桜川」という曲にも同様の少年が登場します。「自然居士」の少女は親の供養のため人買いに自分自身を売りますが、「桜川」の少年は生活苦のために自分自身を売りました。共に世相を伝えて興味深いところです。  居士に、満願の説法会を中止してまで少女の救出を決意させたのは、少女の深い信仰心と居士の、仏法を説くのみならず、事に即応して実践するという宗教上の信念でした。 中世の人々の信仰心の強さが、この少女と居士に凝縮されています。  居士が少女を救出しようと、橋掛に向かい、欄干から身を乗り出し舞台に向かい呼びかけると舞台は広々とした琵琶湖です。  舟出寸前の人買いの櫂の手を止めるための呼びかけから、知識階級の自然居士と下層の心ない人、人買いの駆け引きがドラマの主軸となっていきます。
□大方の能の舞事は曲や終曲のキリの前後をうけて舞います。 この能の後半は、中ノ舞、船の曲舞、簓、羯鼓 と芸尽くしになりますが、これらの舞の間には何の脈絡もなく、人買いの求めに応じて舞うという設定です。この四つの舞は、ごく自然に無理なく進行します。これらの舞は、なぶられるを意に介せず、舞って見せる気持ちで酒々落々と舞うとも云い、又、反対に人買いに強いられていやいや舞う心持ちで舞うともいい、舞手によって見解が違うようです。 シテ自然居士の説教の場の「静」から、大津、松本での人買いとの交渉、舞尽くしへと次第に「動」へ転じていくさまは、まさに「序破急」です。終曲の「簓の段」は、段々と早く舞うものだといいます。人買いが心変わりしないうちに逃げ帰るということなのでしょう。終演後の満足感は比類がないと言いたいほどです。  この能は観阿弥、世阿弥以前のいわば能の創成期の作品の改作ともいわれています。
□自然居士は、和泉国日根郡自然田村(大阪府泉南郡阪南町あたり)の人で、出身の地名から自然居士と称しました。 1300年頃、鎌倉時代中期に活躍した在家の宗教家で、袈裟を着て高座に上り説教をしました。説教の場で簓を擦り、羯鼓 を打ち、扇を執って舞い俗衆を教化しました。 とくに簓は、ささら太郎と呼ばれる程の名手でした。 その姿は異様で、法衣をまとい髪を肩まで垂らし髭をたくわえていたといいます。 知識の顰蹙を買いながらも、庶民の人気を集めたといいます。 「日本名僧伝」には自然居士は南襌寺開山、大明国師の弟子で雲居寺、法城寺の両寺に住んだと短い記述があります。ただし、この能の自然居士と同一人物かどうかわからないといいます。観阿弥は、この異様ながら庶民の人気者を清々しい少年僧に仕立て上げました。 「居士」とは、現在は死者の戒名ですが、もともとは在家で仏道修行する男子のことです。

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