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能:海人

我が子の立身のために死地におもむく、深大な母性愛、女の強さを壮烈に描く。

□藤原淡海(不比等)の子、房前は生母が讃州(香川県)志度の浦で亡くなったことを知り追善供養のため志度の浦を訪れます。そこえ海松藻と鎌を持った、男とも女とも判らないような海女が現れ海女の暮らし、身の上を述懐します。
従臣は海女に、水底の海松藻を刈り除けよと命じます。海女は空腹のためと思い刈り取ったばかりの海松藻をすすめます。従臣は水底に映る月を見るためだと云うと、例え千尋の底の海松藻でも刈り除けよう、昔、千尋の海底から名珠を潜き取ったのもこの浦の海女であると、房前の大臣の出生の経緯を語ります。
 昔、藤原氏の氏寺、興福寺に唐土(中国)から三つの明珠を贈られたがこの浦の沖で龍神に取られてしまった。淡海公は珠を取り返すためこの浦に下り、賤しい海女乙女と契り、男児をもうけた。今の房前の大臣である、と語ります。
房前の大臣は、臣下からそれとなく自分の出生のことは聞いていたが、と懐旧の涙を流し、海女も、このうえ大臣が賤しい海女の子であるなどと藤原家の名誉を汚すことは云うまいと涙ぐみます。
 海女は従臣のたっての所望に昔、龍神に奪われた珠を竜宮から取り返すさまを再現してみせます。「玉之段」
「もし珠を取り返すことができたら我が子を世継ぎにすると淡海公に約束させ、千尋の縄を腰につけ利剣を抜いて海底に飛び入ります。竜宮では龍神達が珠を守っています。とても生きては帰れないと我が子と大臣に別れを告げ竜宮のなかに飛び入ります。その勢いに龍神達が、たじろぐ隙に珠を奪い、我が乳房の下を切り裂き珠を押し込め合図の縄をひきます。こうして珠は取り返したが海女はすでに息絶えていた。
 こう語った海女は自分こそ、その海女、あなたの母の幽霊であると、手紙を残し波の底に消えます。  「中入り」
 従臣は浦人を呼び唐土から贈られた三つの宝の一つ、面向不背の玉が龍神奪われたのを海女が取り返したことなどを詳しく聞き、この海女の追善の管弦講を催すことを触れさせます。
 房前の大臣は母、海女の残した手紙を読み、追善の法要をします。大臣、随臣の法華経の読経に唱和しながら母、海女は経巻を手に竜女の姿となって現れ、法華経を賛美する舞を舞います。
 こうしてこの海女が成仏したのは子、大臣の手厚い供養と法華経の功徳によってです。
 ○メモ 玉之段 「段物」といい一曲の見どころ、聞きどころの中で特に優れたものに名をつけた。本曲では玉を取り返す場面をリアルに演じます。

□前場のシテは賤しい海女です。我が子、房前の大臣の前に「男女の差別は知らず」のような姿を現した海女は信仰のゆとりもなく、伊勢や須磨の海女のような風流心もないと述懐し、月を見るため刈除けよといわれて空腹のためと勘違いします。我が子房前の大臣との貴賤の落差を鮮明にみせ親の愛情の深さを強烈にえがいてみせます。大臣は実際は大人であろうが子方で登場します。能では常套ですがこれも同じ効果をねらったものです。
 いちばんの見せ場は「玉の段」です。腰に縄をつけ、剣を抜き竜宮の中に飛び入るさまを、急調の謡の一句あまりのうちに橋がかり中ほどから舞台端の目付柱前に飛び込みます。剣は己の乳房を切り裂きその中に玉隠すため、縄は海女を引き上げるためです。扇を剣にするときの、扇の扱い、竜宮に飛び入るとき「取り得んことは不定なり」の決意の足拍子、「あの波の彼方にぞ我が子は在るらん父大臣もおわすん」と死を決しての別れ、「約束の縄を動かせば人々喜び引き上げたりけり」と瀕死の海女が浮かび上がるさまなどをリアルにみせます。
 壮絶な人の親の情念は浄化され至高の成仏を遂げ我が子に経巻を授け仏の功徳を願います。後場のシテは竜女の姿で現れます。竜女は法華経によるもので理想の成仏の姿であり、一幅の曼荼羅を見るようです。ここで謡われる法華経の経文は仏教信仰の盛んな当時は我が身にたぐえて有り難かったことでしょう。現代の人には理解の外ですがその軽快な響きと異国情緒に魅せられます。
後場の見せ場は「早舞」です。高い音程の盤渉調の笛の音とリズムで清々しい竜女の喜びをみせます。

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