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能:石橋(しゃっきょう)

文殊菩薩の浄土。咲き乱れる牡丹に戯れる獅子の親子。豪快に、渾身の力を揮い舞う。重い習いの曲。

□深山幽谷の景色を静寂に、浄土を荘重に、獅子の勢いを雄渾に、登場の囃子、乱序にひかれて現れた獅子の親子が豪快に、渾身の力を振り絞り舞う。
その洗練された舞は、古来から伝わる数ある獅子の舞とは格段の完成度。
その躍動する力感は、自律神経失調症気味の現代人を大いに勇気がづけよう。

□天台の高僧寂昭が清涼山を訪ね石橋を渡ろうとすると柴を負った老人が現れその橋を渡るのは無謀であると諫め石橋の謂われを語る。
そもそもこの石橋は人が架けた橋ではない。自然と出現したものだ。
一面苔が覆い滑めり、幅は一尺に満たず、長さ三丈余り高さ三千丈、底は地獄の如きである。
名を得た高僧も難行苦行、捨身の行の末、渡る。向こうは文殊の浄土、妙なる音楽が響きたえず花が降っている。
菩薩来現もまもなくである、しばらくお待ちなさいと姿を消す。― 中入―
やがて文殊菩薩の使い獅子の親子が現れ獅子の舞を舞い牡丹に戯れ、豊かに平和な御代を祝福する。

□獅子はライオンではない。文殊菩薩の仕える霊獣である。したがって舞台は文殊の浄土清涼山なのだ。
獅子の舞は勢いが身上、拳を獅子の足の如く握りしめ両手をピンと張り舞う。
手に何も持たないのも獅子の特徴。渾身の演技は技術的にも体力的にも難曲である。
獅子の登場囃子「乱序」は獅子の舞の前奏曲でもある。
中ほどで小鼓、太鼓で奏される「露ノ拍子」は深山幽谷に滴る露の音といわれ圧巻である。
この「乱序」が始まると獅子は半幕で下半身を見せ期待感を高める。
親獅子は白頭に面「獅子口」子獅子は赤頭に面「小獅子」である。
獅子の面は大きく重くそのうえ動きが激しいので面紐二本を用いる。
獅子の舞は力強く豪快な面白さだけではない。紅白の牡丹の立木を舞台正面に立て赤白二匹の獅子が乱舞する。
その華やかさは比類がない。
獅子舞を見せる曲は他に「望月」、「内外詣」があるが、これらは曲の中の「舞」として見せるのだがこの能は獅子そのものである。
自ずと心構えが違ってこよう。これら三曲は三獅子と称し重く扱われている。
また本曲は「猩々」とともに本祝言物とされ、また後場だけ半能形式で上演されることが多い。

□寂昭法師、俗名大江定基。三河守であったが出家し比叡山に入り密教を受ける。
一00二年、宋に渡り円通大師の号を与えられ敬重された。
その後は帰国せず彼の地で没した。望郷の詩は聞かないが、この能では石橋の如き桃源郷は見えても渡らざることは人生にはあるものだと教えているようだ。
詩歌に長じ臨終の詩「せい歌遙かに聞ゆ孤雲の上なれや。聖衆来迎す落日のまえとかや」は有名。

(梅)

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