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能:天鼓

中国、後漢の時代、王伯という人の妻、王母はある夜、天から鼓が降り下り、胎内に宿る夢を見、懐妊します。子の名を天鼓と名付けます。
その後、本当の鼓が降り下ります。打てば妙音を発し、聴く人を感動させます。
時の帝はこれを聞き、召し上げようとしますが、天鼓は鼓を惜しみ鼓を抱いて山中に隠れます。
帝は天鼓を探し出し、呂水に沈め鼓を召し上げ宮殿に据え置き打たせますがどうしてもなりません。親子の間柄なのだからと父、王伯を召して打たせるよう命じます。
官人は宜旨を伝えるため王伯の家に赴きます。王伯は、子を失った孔子や白居場の悲しみの故事を思い出し、歎いています。
宜旨を伝えると、王伯は、しかるべき人が打っても鳴らない鼓を老人が打っても鳴るはずはない、これは重罪の者の父親として殺すためなのだろう、我が子のためなら身を捨ててもよいと宮殿に赴きます。
王伯は帝の御前で生きとし生けるもの、親子の情のないものがあるだろうかと訴えます。
やがて時も移り、官人は王伯に鼓を打つよう促します。
老人が疑いながらも鼓を打つと不思議にも妙音が聞こえます。
帝は親子の證に鳴ったのであろうと感動し、老人夫婦には数々の宝を与え、天鼓のあとを
管絃講で弔うことを約束します。
帝は呂水のほとりで、天鼓の跡を弔う管絃講を催します。
月明りの水上に天鼓の霊が現れ、管絃講の弔いを喜び、例の鼓を打ち鳴らし舞楽を舞いやがて幻のように姿を消します。

□本曲との係りは薄いが「天鼓」の名は、後漢書に「雷鳴とともに雉子に似た石が落ちた。大きさは一丈ほど。名を天鼓といい、落ちた所に必ず大戦がある」とあり、又、王喬伝の項に「王喬が参内する度に門下の鼓がひとりでになり、王喬の死後は再び鳴ることはなかった」と二つの例が見えるといいます。仏説には天上の楽器として「天鼓」の名が見え、七夕の二星の牽牛の異名も「天鼓」だといいます。本曲にも「星も相逢う空なれや…二星の館の前に」と採られています。

□本曲の前場は、我が子を失った老人の悲嘆が主題です。
天鼓は少年であり、その父が老人というのは常識的に見れば奇異に思われますが、能の特徴的な作劇法です。老人の嘆きがより切実に迫ります。
 市井の人でありながら扮装は高貴な出で立ちです。面は小牛尉をかけ、着付けは小格子厚板という装束を着ます。これらは高貴な人、神の化身の老人の出で立ちと同じです。老人の悲しみを純化させる効果もあるでしょう。

□後場は少年天鼓の舞が主題です。
頭には黒頭(くろがしら・ライオンのたてがみ状の頭髪)を付け、扇の代わりに唐団扇(とううちわ)を持ちます。頭髪は、少年が亡霊であること、唐団扇は中国の話であることを示します。
本曲は、遊楽物ともいうべき作品です。舞いの面白さを主眼としています。
前、後場を通して、理不尽に殺されながら、恨みの場面がなく、前場は愁嘆場ながら、さわやかな作品です。

□中国や我が国の帝王の治世では、民を苦しめる残虐な行為が、日常茶飯事に行われていたように錯覚しがちです。帝王の時代には、民を哀れみ、安んずることを第一とする、尭、舜(中国古代の帝王)の政治理念がありました。臣下も、民も、常にこの物差しで為政者を見守っていました。
だんだん歪んで行く現代の民主主義を思うとき、逆に昔に憧れを覚えるのは危険でしょうか。

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