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能:班女

野上の宿(岐阜県関ヶ原)の長者(女主人)は、子供の時から手塩に掛けて育てた花子という遊女を追い出します。
というのも、花子は東国下向の途中、投宿した吉田の少将と深い契りを結び、互いの扇を取り替え、再会を約して別れたが、それ以来花子は、うつつない有様になり、扇ばかり眺め他の座敷に出ようとしません。人々までが花子を中国の故事の班女と呼ぶようになり、ついに宿の主人が怒ってしまったからです。
花子は行くあてもなく野上の宿をさまよい出ます。春霞の立つある春のことでした。
 吉田の少将は、所用を終え帰国の途中、花子との約束を果たすため野上の宿に立ち寄ります。約束の時は過ぎ、秋風が立つ頃になってきました。従者に事情を聞いた少将は、仕方なく帰京し、花子との再会を祈願しようと加茂神社に詣でます。
 野上の宿をさまよい出た花子は、恋慕の果てに物狂となり、加茂の社に狂い出て、少将一行と図らずも来合わせます。
 少将の従者に、狂えと促され、班女(花子)は和漢朗詠集などの詩歌や、玄宗皇帝と楊貴妃の愛の故事を引いて舞い狂います。
 班女の扇を見た少将は、野上の宿で花子と取り交わした扇であることに気が付きます。
こうして二人は扇の持つ不思議な縁で再び結ばれます。

◆我が子、又は恋人などを探し求めるという筋立ての「狂い物」と呼ばれる能は前場が簡潔で、短いのが多いようですが「班女」はその中でも、きわめて短い曲です。
宿の女主人の間狂言が登場し、シテ花子を呼び出し解雇を申し渡します。
シテは遊女の身上の悲しみを二、三句謡い、さまよい出るシテの様子を地謡がこれも数句謡い、もう中入です。ここでは間狂言(あいきょうげん)が活躍します。
憎々しげにシテを叱りつけ追い出します。間狂言の独壇場です。シテは悄然と中入りします。短いながらも引き締まった前場です。

◆ワキは都の貴族で少将ですから正五位の高官です。出立も白大口に長絹、又は単狩衣(袷狩衣よりも高位)です。帰国した少将がただちに加茂に向かったのは加茂神社が縁結びの神だからです。
 この曲はもともとワキ少将の従者のワキツレの外に都の者のワキツレがいたのではないかといいます。(隅田川のワキツレのような)花子とは初対面のはずのワキツレが「いかに狂女、何とて今日は狂わぬぞ」「さて例の班女の扇はいかに」と言うのは不自然だというのが理由です。同じ例が「葵上」にもあります。
◆後場のシテは方袖を脱いでいます。狂気をあらわします。
我が子を探し求める狂女(隅田川、三井寺など)は狂い笹と呼ばれる笹を例外なく持っていますが、恋人を探し求める狂女(本曲と花筐)は笹は持ちません。この能は扇をもとに展開します。扇がキーワードだからでしょう。本曲に小書、笹之伝があり、この時は笹を持ちます。

◆ 間狂言が演じる宿の長とは宿駅の長、また娼家の主人を指すそうです。
能では朝長、江口、熊野などに例があります。
当時の旅行者は任地や領地に赴く貴人や裕福な商人、行脚僧などで庶民の旅行者は少なかったそうです。
中には切羽詰った事情の人や本曲のような狂女もいたのでしょう。狂女は方便でもあって治安の悪い中での女の一人旅は身を守る一つの方法であり、舞い狂い、人を集め、探し求める我が子や恋人の情報を集めたのでしょうか。情にこうした宿にも泊めてもらったのかも知れません。隅田川に「かの者を待ち船に乗せうずるにて候」というのがあります。
当時の人情がしのばれます。時代は下りますが「奥の細道」に「ひとつ家に遊女もねたり萩と月」。
◆「班女」は前漢の成帝の女官、班捷妤のことです。
趙飛燕姉妹(ちょうひえん)に妬まれ、寵を奪われて成帝のもとを去り、後に秋になると捨てられる夏の扇に自身をたとえた詩「怨歌行」を作ったといいます。 捷妤は、女官の意です。
クレオパトラや楊貴妃もそうであったと聞きますが、賢く聡明な才女であることも
歴史に名を残す美女の要件であるのでしょうか。

◆この能は「扇」がキーワードになっています。
能は必ずと言っていいほど扇を手にして舞いますが、それだけにとどまりません。扇を「逢うぎ」に通じさせ、物語は展開します。扇を効果的に使い、少将に扇を見せるよう命ぜられて、シテ花子は「人に見することあらじ」と懐に抱いて隠したり、「なほ裏表あるものは人心」と扇の裏表を見たりなど美しい型があります。
本曲は能二百数十番の中でも一、二を争う艶麗な曲だといわれています。ひたむきな女の恋心を和漢の詩歌をふんだんにちりばめた美文でうたいあげます。作者、世阿弥も自信作だったようで芸論に例に挙げているそうです。世阿弥は確固たる典拠、本説を力説していますが、この曲には典拠はなく、班捷妤の故事を媒体に想念を広げ脚色した作品です。

◆扇は中国の団扇をもとに平安時代初期に考案されたそうです。桧扇と蝙蝠扇があり、それぞれ冬扇、夏扇と呼んだようです。夏扇が現在の扇に近いそうです。
 能では中啓という、親骨を外側に曲げ、拡がった形の扇を使います。お坊さんの持つ大啓を中くらいに狭めた扇の意といいます。扇は風を起こすだけではなく、身を守る、幸を呼ぶなどと考えられ親しまれてきました。

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