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能:羽衣

三保の松原(静岡県清水市)の漁師、白龍が釣りに行こうと浜辺に出ると、空から花が降り、音楽が聞こえ、いい香りがあたりにたちこめます。見ると松の枝に美しい衣がかかっています。家の宝にしようと取って帰ろうとすると、天女が現れ、その衣は天の羽衣といって人間が持つものではない、返してくださいといいます。羽衣と知った白龍は羽衣を返そうとしません。羽衣がないと天に帰れないと天女は悲嘆にくれます。さすがに哀れに思った白龍は羽衣を返し天人の舞楽を見せてもらいます。
羽衣を身につけた天女は月の都、月宮殿のありさまを語り、三保の松原の風景を舞楽につくり、舞いながら羽衣をなびかせ愛鷹山、富士山を眼下に月の都へ帰っていきます。

□数ある能の中で羽衣ほど、観る人をも、演ずる人をも「幸せ」な気持ちにする曲は少ないかも知れません。
白龍が三保の松原の景色を謡うと晴朗たる春の朝風がからだの中を吹き抜けます。天上から降り立った天女の姿も、ことばも舞も清らかで美しい。
長老の芸談に「羽衣は“空”の能である。小さなことにこだわらず、のびのびと大きく舞うものだ」とあります。
白龍に衣を取られて悲しみ仰ぎ見る空、衣を返してもらっての歓喜の舞は空の中です。空は時代は移っても人間の未知への憧れ、希望の象徴であり、メルヘンの生まれ所です。
終曲に天上へ飛び去る天女をジッと見送る白龍の姿にこれらを見るような気がします。

□羽衣伝説は世界各地に伝わっていて、日本でも駿河、近江、丹後の国風土記に見えるそうです。作者が駿河の国、三保の浦を選んだのは理由がありそうです。
弓なりの海岸線の向こうに富士山が浮かび、天女が降り立つ絶好のところです。
とくに富士山を「染命路の山」仏説に云う諸仏、天仙の住む須弥山に見立てました。
この能の曲(クセ、曲舞からの名、曲の中心をなす)に「笙、笛、琴、箜篌」(しょう、ちゃく、きん、くご。楽器の名)孤雲の外に満ち充ちてという句があります。これは大江定基(寂昭法師)の臨終の詩によるものです。聖衆来迎(人が死ぬ時極楽浄土からいろいろな菩薩が紫雲に乗って迎えに来るという仏説)の様子を作ったものです。
 この能が作られた中世の人々は深く仏教に帰依していました。人生の最終の目的は極楽浄土に行くことでした。この能を見ながら夕日に赤く染まった富士山を、西側はいつも茜色に染まっているという須弥山に見立て、孤空に花降り、音楽聞こえる聖衆来迎の様子を思いえがき法悦の世界に入っていったのでしょう。作者の意図でもあったかもしれません。
 信仰心が薄くなった現代の私たちには想像も及びませんが、現代人はそれなりにこの曲の持つ清らかなメルヘンの世界に魅了されよう。

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