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能:八島(やしま)

都の僧が西国行脚の途次、八島の浦に立ち寄ります。あたりの塩屋に泊まろうと主の帰りを待ちます。
やがて、月の出や、沖の漁り火の美しい八島の浦の情景を賞でながら塩屋の主従が漁から帰って来ます。 
僧が、都の者だと名乗ると主は家の中に請じ入れ、都といえば懐かしい、私たちも以前はと言いかけ、涙に咽びます。
僧は、この八島での源平の合戦の有様をたずねます。
主は、源義経の勇姿や、平家方の悪七兵衛景淸と源氏方の三保谷四郎との錣(しころ) 引きや奥州以来の家人佐藤継信の戦死の有様など語ります。
あまりに詳しい話に僧は驚き、主の名を尋ねます。
主は義経の霊であるとほのめかして消え失せます。
 僧の夢うつつの中に甲冑(かっちゅう)姿の義経が現れます。
義経はこの合戦中に誤って弓を取り落とし、敵中、身を呈して取り返したこと、このことを練さめた僧尾十郎兼房に、まことの勇者は命は惜しまず名を惜しむものであり、末代までの名誉のために弓を取り返したのだと武士の道を説いたことなどを語ります。
やがて修羅道の時になり、平教経との戦いの様を見せますが夜は波の彼方からほのぼのと明け初め、その姿は見えなくなります。
 能もその時代によって観る人の受け取り方が違うのかも知れない。

この曲は「えびら」「田村」と共に三修羅といい戦いの悲哀を描くものではなく戦勝の曲と云われ目出度い曲とされてきました。八島の浦の戦いでの義経の勇姿、しころ引き、弓流しなどが生き生きと描かれます。さらには狂言方の重い習い、那須与一の扇の的の武勇伝を作った演出もあります。終曲で武人が落ちるという修羅道の戦いが語られますが、これも八島の浦の戦いの再現です。修羅道の苦しみはありません。

 義経は国民的英雄として伝えられて来ましたが、また悲劇の将としても語り継がれてきました。

前場に、春の海の静かな夜景、都を偲ぶ老翁、継信、菊王の死、終曲の戦いのどよめきが波の音、カモメの声、松を吹く風になっていく、一抹の哀愁も漂います。

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