卒都婆小町(そとばこまち)


シテ:山田純夫
ワキ:宝生 閑
ワキツレ:大日方 寛
 

□小野小町、古今の美人。歌を詠み六歌仙に名を残す才媛。
この物語は九十九歳の小野小町の物語。杖にすがり、破れ傘、垢まみれの衣を着人に物を乞う。
しかし興味はこれだけではない。仏法を説き高野山の僧がひれ伏す。
若き日の驕慢は今も衰えない。百夜も小町のもとに通った深草の少将の霊は、小町に憑き狂う。老いの悲しみが心に残る名作。最奥の秘曲。

□高野山の僧が都に向かう途中、卒都婆に腰掛けた老女に出会う。
教化しようとするが仏法問答を挑まれ遂に論破される。老女は小野小町のなれの果てだという。老女は昔の比類ない容姿を語り、
今は老残の身を物乞いとなったと語るやいなや深草少将の霊が憑き狂乱となり百夜通いを見せる。
やがて狂乱も去り静かに悟りの世界に入っていく。

□静かな登場の囃子に一歩一歩踏みしめるごとく運ぶ老足に、百年の想いが交錯する。この能の成否が決まる静寂かもしれない。
 老衰に耐え難きに見える小町は「げに古は驕慢、最も甚だしう」とつぶやく。
「驕慢」この能の骨格をなすものだという。
 この能は大別して前段の卒都婆問答と後段の狂乱とに分けられるとする。
高野山の僧は卒都婆の表の意味を説き小町はもう一つの裏の意味で反論、「本来無一物」すべては愚かな衆生を導くための方便であるとダメをおす。
僧は「誠に悟れる非人なり」とひれ伏し、小町は勝ち誇ったかのように、得意の歌を詠み驕慢をみせる。
 小町は乞食となった身の境涯を嘆くうちに深草少将の霊がつき狂乱となる。
緊張と狂おしさを生々しく、老態で見せる。
 狂乱から一転、悟りの道に入り終曲となる。この落差は著しい。
しかも主人公はあの世から現れた霊ではなくこの世の人という設定、どう表現されるのか興味をひく。

□この能は主に「玉造小町子壮衰書」に深草少将の「百夜通い」伝説を加え作られている。
壮衰書は平安中期頃に成立した漢詩文で四字、六字の問答体の序と、五言古調の詩からなり、浄土への憧れを述べる。作者不詳という。
「序」に小町の名はないが、ある女が乞食になったありさま、若き日の美貌、豪奢な生活のありさまが綴られている。
この能には「序」の章句が多く採られている。
説に壮衰書は小野小町を題材にしたものでは無いという。古今の美女を乞食に仕立てるのは万人の興味であり、
また小町集に「陸奥の玉造江に漕ぐ船の穂にこそいでね君を恋ふれど」とあるのが、壮衰書は小町であるとする説の根拠としたのであろうという。

□小野小町は平安前期の歌人、生没年不詳。八百五十一年から三年間ほど宮仕え、辞して幽居した。その名から采女らしく中臈ともいう。

これほどよく知られた人物でありながら諸事に諸説があり謎が多いという。

□百夜通い伝説は歌論議の説話に「言い寄る男の心を見ようと車のしじ(車のながえを置く台)に百夜寝たならば言うことを聞こうと言うと男は九十九夜通った。
もう一夜という夜、男の親が突然死んだ。男は百夜通えなかった」この説話が小町と少将のものとして伝わった。
少将は多分に伝説の人物であろうという。
 百夜通い伝説は能「通小町」に作られており、小野小町、深草少将に纏わる詳細は「通小町」の解説をご覧頂きたい。

  

(梅)

                                   

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