花 月


(シテ:熊谷伸一)
(後見:豊嶋訓三 山田純夫 蓮元早苗)
( 地謡:宇高通成 坂本立津朗 工藤 寛 元吉正巳 雄島道夫 遠藤勝實 見越文夫 大川隆雄) 


※あらすじ 
筑紫(福岡県)彦山の麓に住む左衛門は七歳になった我が子が行方知らずになり
そのため世をはかなみ、出家し諸国を行脚します。
春爛漫の清水寺をたずねた僧は門前の人に頼んで花月(かげつ)という少年の
地主の曲舞を見ることにします。
烏帽子、狩衣姿に弓を携えて現れた少年は、花月という者だと名乗り
ある人に名前の由来をたずねられたので、花月の「月」は説明するまでもないが
「花」の字は、春の花、夏の瓜、秋の菓、冬の火、いずれも「か」だが
因果の果にも通じるなど、仏説を交え答えたら、これは天下にかくれもない
高僧であると感心したのだと見栄をきって見せ、門前の人の肩を抱いて
恋の小歌をうたい、桜の花を踏み散らす鶯を矢で射落とそうと、
中国の弓の名人養由にも意気込みだけは負けないのだと弓を引き絞りますが
いや、殺生戒は破るまいと、弓を納めるなどして遊狂を見せます。
ついで、清水寺の草創、縁起を語りクセ舞いに舞います。
やがて僧は花月が我が子であることに気付き名乗ります。
花月は父をなぐさめるために羯鼓を打ち舞い、天狗にさらわれて諸国の山々
里々をめぐった苦しくも不思議な体験を語り、共に佛道修行の喜びの旅に出ます。

□この能のシテは、少年の遊芸者です。少年らしく明るく爽やかに
登場から終曲まで舞い通します。
各場合のつなぎに、ゆるみがなくスピード感にあふれています。
舞い始めは、室町時代の当時流行した小歌です。
恋の小歌を当時も流行ったという男色の諷刺につくって
門前の人を念者にします。門前の人は間狂言がつとめます。
シテ花月のパフォーマンスの司会者という役どころです。
「恋こそ寝られね」と少年に押し放されて膝をつき、上を見上げて
「や、花に目がある」といい花を踏み散らす鶯を教えて「弓ノ段」につなぎます。
鮮やかな場面転換です。
鶯を射落とそうとする場面に、能には珍しい「型」が連続し、いかにも少年の
遊芸の能らしさが横溢します。
「仏のいましめ給う殺生戒を破るまじ」としめくくり、眼目の清水寺の地主の
曲舞につなぎます。
この曲の舞の面白さを、いっそうきわだたせているのは、親子の名乗りのあとの
羯鼓から天狗にともなわれて山々里々をめぐる終曲部でしょう。
息をもつかず舞い通します。能の舞の面白さが凝縮しています。

□この能のシテは喝食(かつしき)という面をかけます。
前髪を前にたらした少年の風貌です。
喝食は、寺の食堂で僧の食事の世話などの雑事をする少年僧だったといいます。
大声で食事の時間、献立を呼ばわり「喝」したのが名の由来のようです。
同じ喝食の能にに、自然居士、東岸居士があります。いずれも実在の人だといいます。
有髪の、半僧半俗の宗教者で、舞を舞い、簓をすり、羯鼓を打って人を集め
説法をしたといいます。禅僧だったようで、禅問答が面白く
また、この能のために大喝食の面が考案されたそうです。

□この能の冒頭に舞う恋の小歌は、室町時代の小歌集、閑吟集に収られた
当時の歌謡です。
この能の外、放下僧や、狂言の文荷にも謡われています。
閑吟集はどのような節、施律で謡われたか、知る由もありませんが、
これらの能の小歌に少しでも残っていれば、六百年余りの時間の波に洗われても
生き残った能の功名の一つといえるでしょう。

□彦山は、福岡、大分県にまたがる標高1,200の山で、修験道の大道場でした。
人さらい、強盗を働く、山法師もいて、これらの悪業を天狗の仕業として
恐れられていたといいます。
                                 (梅)

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